あしもとの空

なんでもなさそうな日常と渦巻く気持ち

街角の亡霊

車を走らせていて見慣れた町並みを通り抜けながら、かつてあの角を曲がったところのアパートによく知った人が住んでいたことを思い出す。

その人は4階建ての建物の3階に住んでいて、何かにつけよく呼びつけられていた私はエレベーターのないそのアパートのコンクリート階段を踏みしめるように昇って訪ねたものだった。

不要品が溜まってしまって処分したいが車がないから手伝ってほしいとか、もう着なくなった洋服や靴がたくさんあるからよかったらもらってくれないか、とか。透明のビニール袋にぎゅうぎゅうに詰め込まれた大量の衣類は、どれも私なんかが着るには派手すぎて、そのまま清掃センターへ持ち込んで焼却処分になることがほとんどだった。要するに何かを処分したくなると私を呼ぶ、そういう人だった。

人との付き合いを損得で測るのなら、その人との付き合いは圧倒的に負担の方が大きく見返りは小さかった。と思う。それでもなぜか憎めないその人と疎遠になったのはなぜだったろう。仕事で関わることが減って、他の技術者さんに声をかけることが増えるにつれ、その人との距離がどんどん開いていったのだったか。

その人の訃報が届いたのは、連絡を取り合わなくなって2年ほど経った頃だった。持病があることは知っていた。それが悪化して、命取りになったのだと共通の知り合いから聞かされた。私の耳に入ったときにはすでに葬儀も納骨も終わっていて、ああもうそんなに遠い存在になっていたんだなと、あらためてその人との距離を思い知った。

 

特別近しい関係だったとは思わない。それでも、今こうしてこの町を通り抜けると、あそこの角にその人が立っているような気がする。目の前の横断歩道をその人が渡っていく。バッグの中のスマホが鳴り、その人の名前が表示される。

ような気がする。

 

こうしてあちこちの街角に亡霊が増えていく。それだけあちら側へ渡った人が多くなったということだ。これから減ることはなく増えていく一方だろう。時に懐かしく、時にほろ苦く。